大人しく布団にくるまりながら、窓の外を眺めている。ベッドに寝たままだと、空と電線しか見えない。
あらたには悪いことしちゃったな、と思った。千隼から誕生日プレゼントを願っておきながら、結局は彼をひとりで行かせている。
(がっかりしたかな)
せっかく久しぶりに、二人でいられる機会だったのに。
いつもはお気楽な頭が、熱で弱ったせいか、へなへなと萎れていくのが分かる。明るく元気なところが唯一のとりえだと言われるのに、これではまるでダメだ。
元気出さなきゃ、と拳に力を込める。それでも、彼のプレゼントを本当に楽しみにしていたから、その分だけ悲しくって仕方がない。
毛布を顔まで引き上げて、布団の中で丸まった。

千隼と新は仲がいいが、実のところ、あまり一緒にいることはなかった。会うのはたまに、話すのはまれに、ほとんどはすれ違いもしない。
まず、クラスが離れているから、廊下で会うこともないし、合同授業で一緒になることがない。千隼は欠席したり、早退したり、保健室で臥せっていることが多い。新は教員になにかを頼まれたり、委員会の長をやっているから忙しい。何より二人とも、それぞれ仲の良い友達がいるのだ。なにか行動するときや遊ぶ時は、同じクラスの友達が優先になって、二人が一緒にいることはなかった。
だから二人が仲良しなのを、ほとんどの人は知らない。二人で話しているところを見て、「あれ、知り合いだったんだ」と言うくらいだった。
――そういえば、と思いだす。前にそんな話をしたことがある。二人が仲良しであることを知って、とても驚いていたクラスメイト。
(え? 秦野と逢坂って幼馴染だったの?)
いつのことだっけ――……、暇な頭は取りとめもなく、記憶の海を彷徨いはじめる。
あれは確か、七月のこと。夏休みを間近に控えた日の、昼休みだった。

その日はまさに、千隼と新がそれぞれの友人の輪を離れ、久しぶりに二人で一緒にいた日だった。お昼を食べよう、学食にしよう、と仲良く連れだって席に着いたとき、彼は現れたのである。
「俺も一緒に食っていい?」
短く刈り上げた髪の、健康そうなバスケ部員。偶然にも千隼と新の共通の友人であった彼は、二人の食事に加わることになった。
「助かったわー、どこも席なくてさ」
「混んでるよねえ最近」
最初こそそんなことを話していたのだが、男子はなにか気になるように、ちらちらと視線を左右させる。それが千隼と新の間で揺れていることに気付いたとき、彼はようやく話題にあげた。
「お前らって実は結構仲良かったの?」
「え? なんで」
唐突な話に目を丸くする。男子も同じ顔をしていた。
「いや、知り合いなのは知ってたけど、一緒にメシ食うくらいだったのかって……」
意外そうにしている彼に、千隼の方が驚きだった。千隼と新の仲の良さは、それどころではない。
「むしろ、すっごく仲良いよ。昔っからともだちだもん」
「昔?」
「うん。ずーっと、ちっちゃいころから」
「――え? 秦野と逢坂って幼馴染だったの?」突然、素っ頓狂な声をあげた。がたりと、ラーメンをこぼしそうになる。「幼馴染ってホント?」
「ちょっと、ラーメン平気?」
「マジかよ」
よっぽど驚いたらしい彼は、ラーメンのことなど気にもかけずに勢い込んだ。口からいろいろ飛んで、千隼は気が気でない。
「お、おちつこっか」
「あ、すまんすまん。びっくりした」
「そんなに変だったかな」
びっくりしたのは千隼の方だ。素っ頓狂な声は、すぐに食堂の賑やかさに飲まれてしまったけれども、目の前にいた千隼にはやりすごせるものではない。思わず食事の手が止まり、箸を置いてしまった。
男子は腕組みをして首をひねる。
「いや、なんつーか……。まあ驚きっちゃ驚きだよな」
「そうなんだ」
「でもある意味納得? みたいな」
「ふーん?」
その感想には共感しかねて、首をひねる。彼は弁解するように手を振った。
「いや、だって、謎だったんだ。お前らって別のクラスだし、普段話してるとこ見ないじゃん。だけど一回だけ、四月ごろに話してるの見たことあるんだけど、すっごい馴染んでたからさ。逢坂なんて転校してきたばっかなのに、意外だなーって思ってたから。あー、なるほどね、昔からの付き合いなのね」
うんうん、とうなずく。それから彼は、「へー」とか「ほー」とか、ひたすら納得したことをアピールする言葉を発していた。納得というより、感心しているのかもしれない。
千隼は、自分と新が仲良しなことなんてはじめから分かり切っていたから、彼の驚きを理解できない。なにも返さずに聞き流しながら、少し考える。
(やっぱり、あんまり仲良さそうじゃないのかなあ)
傍からどう思われているかは関係ないから、不本意とも思わない。事実を事実として受け止めるだけだ。こうして驚かれるのは、少し面白いけれど。
「でさ、」いつの間にか、男子が芝居がかったアピールをやめている。「いつぐらいの幼馴染なん?」
「えっと、小学校入る前からだね。小学校の途中で、新が転校してっちゃったんだけど」
「で、今年戻ってきたわけか。へー、じゃあ結構間空いてんだな」
「そうだね、七年だもん」
「七年!」
「七年」
食べるでもなく箸をいじりながら、別れた日を思い返す。
七年、とあらためて口にすると、それが途方もなく長い時間に思えた。小学校に入学して卒業するより長いのだ。それだけの間、新と離れていたのが不思議でならない。
男子も中空を見上げて、七年、と呟いている。
「すげえなー。感動の再会じゃん。それってさ、逢坂は分かっててここに転校してきたの?」
「そういうわけじゃないんだよ。春にさ、始業式の前に直接家に挨拶しに来てくれたんだけど、そのとき転校先の学校聞いたらちょうどここで」
「マジか。危なかったじゃん、秦野と逢坂なんて、学力考えると同じ学校にいるのが不思議なレベル」
「うーん、あらたならもっと上のとこいけたと思うんだけどね」
「秦野ならもっと下のとこだと思うけどな」
「あのね、勘でやったとこが全部あってた。入試のとき」
「すげえ」言葉とは裏腹に、呆れた顔をしている。
男子は一度コップの水を飲むと、あー、とため息とも呻きともつかない声を出した。
「にしても小学校入る前からか……。昔なんて余計に逢坂が秦野の保護者になってたんじゃねえの。かいがいしく世話焼いてそう」
「うん!」
「お前が肯定するのかよ」
呆れた声で言われて、えへへと照れ笑いでごまかす。否定できるはずがないのだ。
箸を料理の上にさまよわせ、結局お盆に置く。手を太腿の上に載せて、男子を見つめた。
「でもね、確かにあらたはしっかりしてたけど、おれだってそんないっつもへにゃってたわけじゃないよ。ちゃんと逞しくなろうとしてたから。なろうとは、してたから」
「ホントかよー」
「ホントホント」
「信じらんねえなー。逢坂ぁ」
なんか言ってやれよ、という調子でその名が呼ばれる。
しかし新はそれどころではなかったらしく、自身の食器を見つめながら、ようやく沈黙を破った。
「……ちはや」
その目は真剣そのもので。
「分かった」
早々に察した千隼は、新の食器を引き寄せると、彼の視線の先にあるきくらげをもらって食べてしまった。ついでにピーマンとにんじんも。
彼の嫌いなものを全部なくしてしまってから、キッと眉をあげた。
「こんなに美味しいのに、ダメだよあらた」
「……次こそは」
「でもさっき、いっこは食べてたね。偉い偉い」
「ありがとう」
「となりにおれがいなきゃ、ちゃんと自分で食べるのにね」
新は安全になった料理を自分のもとに戻すと、思い出したように男子生徒へ視線をむけた。
「……ちはやの話だったな」
「お、おう」
「確かにちはやは頼りなく見えるが、ある面ではとても頼れるんだ」
「食の面で?」
「そう。いや、違う。それもそうだがそういう話ではなくて、」厳かな声で言う。「これが案外、芯が強い」
「へえー」
きっぱりと宣言したことで満足したのか、新はまた食事に戻ってしまった。男子も新に多くの会話を求めていないらしく、千隼に向き直る。
「だって。秦野、芯強いって」
「褒められちゃった〜」
「具体的にエピソードとかあんの? おおーってなるような」
「あるのかな、あらた」
二人に見つめられながら、新は落ち着いて咀嚼し飲み込んだ。そして言う。
「長くなるから」
「言わねえのかよ」
責めるような口調だったが、長いと言われて聞く気もなさそうだった。
男子はいつの間に完食したのか、ラーメンのスープまで飲みきっている。箸をお盆に投げ捨てて、背もたれにだらしなくよりかかった。
「でもさ、長年の謎が解けたわ。普段は一緒にいないくせに、たまに話してるときはすっごい仲良さそうだから。どういう関係の知り合いなのかなって思ってたもん。いとこかなーとか」
「こういう関係の知り合いです」
「この学校に他の幼馴染いないの?」
「いないね。中学、高校でみんなばらばらになっちゃった」
「じゃあみんなしらねんだ。お前らが昔から友達だって」
「んー、知ってる人はいるけど、でも別にわざわざ言わないね」
「じゃあ絶対びっくりするよ。俺がびっくりしたんだもん。まず知り合いってとこからびっくりだけど」彼は、今度は千隼へ身を乗り出した。「秦野が宮森たちと仲いいのは分かるし、逢坂が倉持たちと仲いいのも分かるんだけど、お前ら二人はよく分からんもんなあ。性格的には合ってないっしょ。ぶっちゃけ秦野が一方的に話しかけて、逢坂はうざがってんのかと思った」
「ひどいよ!」
そうまで言われては、さしもの千隼もむくれてしまう。
確かに真逆の印象を持つ二人だが、それでも現実として親友なのだから、仲を認めてもらわなければならない。
機嫌を損ねてじいっと睨むと、どうどう、と男子がいなした。
「ごめんごめん。でも、そういうのってあるかもな。意外な、とくべつな接点っていうか」
「意外かあ。おれはあらたと一緒にいるのが自然だから、それは分かんないけどね」
「そんなもんか」
「そんなもんだよ」
「わかんねえわ。俺幼馴染いないから」
「うーん」
生返事を返しながら、もうずっと手をつけていなかった自身の食器を見下ろした。もう昼休みが終わる、タイムアップだ。
「……あらた」
「分かった」
新は千隼の食器を取り上げると、残っていたヒレカツを平らげてしまった。これで皿は綺麗に空だ。
「君は自分の限界を見誤らない方がいい」
「すごくおいしそうだったから……」
「それでも、ご飯を小盛りにしていたのは進歩だ」
「分かってくれた? 我慢したんだよ〜」
「いいことだ」
褒められて、にこにこ微笑みながら、男子を振り返った。
「えっと、なんの話だっけ?」
彼はしかし、「もういいです」と首を振る。
「お前ら、お互いがいないとメシもまともに食えねえのかよ」
「い、いつもはちゃんと完食できてるもん」
さいで。と男子は呆れた顔をしたままだった。いいコンビだよ、お前ら。


   ***

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