携帯が振動する。届いたメールに目を通して、すぐに返信をした。昨日から何通目だろうと眉をひそめたが、携帯をしまい込む頃には忘れ去っていた。
今日は登校日だ。周りの生徒たちは久々の再会に盛り上がり、あちこちで歓声が上がっている。それを意識の端に聞きながら、考えるのは昨日のこと。
弟は、何故。
昨日は収穫の多い一日だったが、しかし主たる目的は果たされていなかった。結局のところ、何故弟が部屋にこもり、兄を遠ざけるのか、依然として分からないままなのだ。
今日の朝食でも「兄ちゃん入っちゃだめ」と遠ざけられ、その後何度か用事にかこつけて部屋へ近づいても追い返されてしまう。もう家を出る時間だったから出てきてしまったが、残してきた弟がどうしているのかを思うと心配だ。
聞き分けの良い弟に限ってないだろうが、もし悪い遊びをしているなら叱らなくてはならない。あるいは、人に言えないような悩みを抱え込んでしまっているのなら、話を聞かせてほしい。
どうしたものか。
弟の取り扱いに思いを巡らせながら、じっと机に肘をつく。そうして思考に耽っていると、騒がしいはずの喧騒がひどく遠く聞こえた。
そんな中でも、自分を目指して近づいてくる足音というのはぴんとくるものだ。どやどやと歩み寄る気配を感じ、顔を上げると、数人が机を取り囲んだ。
「逢坂、久しぶり」
「ああ」
楽しそうに笑いかけてくる彼らは、始のクラスメイトだ。
学校のように様々な種類の人間が集まる場だと、やがては気の合う者同士でつるみ、グループができるようになる。彼らもそうやってできたグループで、このクラスでは比較的穏やかかつフレンドリーな者たちだ。他にもはたから見ていると、大人しい者たちのグループ、華やかな者たちのグループ、共通の趣味を持つ者たちのグループ、様々ある。
始はどこにも属していなかったが、かといって孤立することもなく、どこのグループからも親しげに話しかけられていた。あまり自分から交流を持とうとするたちではなく、必要があれば話しかけるし、むこうから話しかけられれば言葉を返すだけなのだが、別段無愛想だと嫌われることがないのだ。どこでもないから、どこからでも話しかけやすいのかもしれない。
ベタつかない、適切な距離を保った交流は、過ごしやすかった。
「逢坂、聞きたかったんだよ。文化祭の場所決めってもうやったんだろ?」
「ああ。このクラスは1A教室だ」
「1A、すごいな、一等地じゃん。それってなに、学園祭実行委員長権限?」
「いや、じゃんけんで」
「他に1A狙ってるのってどのくらいあった?」
「十二クラス」
「激戦区すぎだろ!」
始を囲んだ数人の男女は笑い、そして労うように背中を叩いた。始としては、クラス代表の十二人でいっせいにじゃんけんをして、一発で勝っただけだから、疲れも何もない。
始はなにも言わなかったが、彼らは好き勝手に話し始める。
「十二ってすごいよね、さすがじゃない? じゃんけんでも強いんだね」
「いや絶対裏で権力振りかざしたんだよ。黒幕だもん」
「そういうの似合うわー。裏で糸引いてるの」
「他の十二人平伏させてさ」
「似合うなー」
「じゃんけんしたっつってもさ、他の十二人の構えから瞬時に結果を予測して的確に勝ちにいってそう」
「強すぎ」
「ありそう」
「逆らわんとこ」
勝手に始のイメージを作り上げ、冗談混じりに恐れてみせるのが、彼らには楽しいらしい。
冷静、冷徹、無感動、不動、魔王、人外、黒幕、サイボーグ――それが今まで始が言われたことのある言葉だ。
それはこのグループのみならず、どのグループでも大抵共通したイメージである。キャラが立ってる、というのが彼らの弁だ。始に限らず、ドジっこであるとか、面白芸人であるとか、不思議ちゃんであるとか、“キャラが立っている”者はたくさんいる。少々誇張されているのではないかと思うが、本人もその期待に応えるべく行動しているように見えた。
イメージをもたれることは不愉快ではないし、それで楽しいなら構わない。彼らがそうした要素を始の中に見いだすのなら、事実としてそういう部分もあるのだろう。
しばらく雑談を続けていると、やがて教室内の空気が動いた。停滞していたざわめきが、ゆったりとどこかへ流れて行こうとしている。グループの女子が扉を振り返った。
「あ、もう朝礼やるみたい。いこっか」
「ああ」
賑やかな空気がそのまま、ひとつのかたまりのように、教室から廊下へと移動していく。それと適度に混ざり合いながら、始もあとをついていった。
「ねえ、」振り返ると、グループの女子が一人、隣に並ぼうと近づいてくるところだった。「逢坂くんてさっきなに考えてたの?」
「なんのことだ」
「私たちが話しかける前、なんか考え込んでたじゃん」
なかなか鋭いな、と感心した。あまり表情の変わらない始だから、考えていようがいまいが、他人に気取られることがないのだ。
別段隠すことでもないから、素直に答えた。
「弟が部屋から出てこないとき、どういった理由があるのかを考えていた」
「なにそれ、哲学?」
「現実的な問題だが」
「それを考えると、世界を動かしたりできるの?」
彼女はなにを言っているんだ、と思ったが、深くは突っ込まないことにする。
「そうだとして、どんな理由があると思う。部屋に近付くと、来るなと言う」
「反抗期じゃないの」
「反抗期ではない」
「じゃあなにか隠してるんだ。捨て猫でも拾ってきちゃったとかね」
「生き物はいない」
「うーん、難しいね。じゃあやばい趣味に目覚めちゃったんじゃないの。ロリコンとかさあ」
「五歳だぞ」
「二歳の女の子連れ込んでるのかもしれないじゃん!」
彼女はもう考える気もないようで、「それで決まり。弟はロリコンでした」と決め付けた。
「それでこれ、なんの話なの?」
「だから、俺の弟の話だと言っているだろう」
なんの話だと思っていたのだろうか。彼女は瞠目し、口をぽかんとあける。
「え、嘘。逢坂くんて弟がいるの」
「何故俺が他人の弟のために頭を悩ませなければならない」
「いや、なんかの比喩か暗号なのかと思ったんだよ。だっていそうにないからさ。逢坂くんにも家族っているんだね」
「当り前だろう」
「闇の中から生まれたんだと思ってたよ」
「どういうことだ」
「ちゃんと人の血が通ってるんだ」
彼女はまじまじと、信じられないものを見る目をしていた。いくらなんでも礼儀を欠いている。
「弟かあ。弟に接する逢坂くんって想像つかないね。他人っぽいっていうか」
弟を弟と思ってないでしょ、と彼女は真顔で言う。
お前は人を人と思っていないな、とはさすがに言いかえさなかった。


   ***

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