『桜にけぶる』 遼誕生日SS


「誕生日おめでとう、遼」
声に振り返ると、ちょうど風が吹いたところで、声の主は花びらにまぎれてしまった。ざあざあと舞い散る薄桃色のむこうに目を凝らすが、姿を見つけられない。
どの学校にも桜は植わっているだろうが、この学校はよっぽど桜が好きなのか、どこもかしこも桜桜桜だった。四月を迎えるといっせいに咲き乱れ、潔く散っていく。桜吹雪も、桜の絨毯も、みな口をそろえて綺麗だと言うが、遼には煩わしいばかりだった。
髪に着いたらいちいち払いのけなければならないし、あくびをするとむせてしまう。視界も悪いことこの上なく、こうして話しかけられても、相手を隠されてしまうのだ。まったく厄介だった。
いつまでたっても桜吹雪は降りやまず、いいかげん痺れを切らして踵を返した。すると足音で気付いたのか、声の主はまた声を上げる。
「遼」
「あんだよ」
ぱっ、と桜吹雪が振り払われた。むりやり桜をくぐりぬけて、ようやく姿を現したのは、去年から親交のある遼の先輩。くぐりぬけたはいいが、吸いこんでしまったらしく、途端にむせかえった。
これはいっそ、傘でもあった方がよかったかもしれない。桜前線なんていうくらいだから、梅雨前線とか寒冷前線とかああいうものの仲間で、ようは空から降ってくるものに注意しろという意味だったのかも。
そんなことを真顔で考えている間に、先輩は落ち着きを取り戻し、ようやく背筋を伸ばして遼の前に立った。黒髪に桜をまぶした彼は、逢坂新と言う名前だった。
「逢坂先輩」
「ああ。今日、誕生日だったろう」
「なんで知ってんだ?」
「名簿か何かで見たような」
「あっそ」
「それと、委員会の提出物を出していないのは君だけだ」
早く出してくれ。という彼に顔をしかめる。そっちが本題だ。それを言うついでに、誕生日を祝ったのだ。別についでだから嫌なわけではないが、宿題などの提出を急がされるのは大嫌いだった。
「今度な」
「本当なら春休みの前に出すべきだった」
「春休みが早く来すぎた」
「じっくり休んだろう、そろそろ頼むぞ。それがないと終われない」
確かにもう昨年度の委員会は終わっているし、近々新しい委員会も始まる。だから彼も急かしているのだろう。遼の知ったことではないが。
じゃあ、と逢坂は手を振って、桜吹雪の中を歩いていく。遼も背を向けようとして、そして思いだした。
「あ」
そうだ。今日は財布を持ってくるのを忘れて、昼食抜きを覚悟していたのだ。そろそろ正午が近づいてきた今、腹が減りつつある。煙草で誤魔化そうと思ったが、育ち盛りには少しキツイ。
だからこれは好都合かもしれない。
「先輩、」彼が振り返るのを確認して、叫ぶ。「誕生日プレゼントくれよ」
もう大分離れてしまった彼は、大声を出すことはせず、聞こえないような声を返した。
「プレゼント?」
「おう」
「なにが欲しいんだ」
頭の中には様々なものが浮かんだが、最終的には腹具合が決定を下した。
「焼きそばパン。焼きそばパン買ってこい」


   ***

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